育児•健康

日記を兼ねて文章を書く練習

本のまとめ

『幸せになる勇気』

「教育の観点から」

 


•「自らの無知」を知っているという一点において、わたしは彼らよりも知者である。

ソクラテス

•教育の目標は自立に導くこと。

•教育とは「課題の分離」の上で、「介入」ではなく「援助」をすること。

•人が人として幸福に生きるためには、共同体の中でどのように生きるべきなのか。他者とどのように関わればいいのか。人間の本性を知り、人間としての在り方を理解することが大切。しかし、それは対人関係の実践から学んでいくしかないもの。→これを共に考えるのも教育

•子供に対しても尊敬の気持ちを持つ。

•尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知ること。

•尊敬とは、その人がその人らしく成長発展していけるよう、気づかうこと。

•一般的な尊敬とは、恐怖であり、従属であり、信仰。相手のことを何も見ておらず、権力や権威に怯え、虚像を崇めているだけのことを指す。

•尊敬とは、言葉でなされるものではない。「君の事を尊敬しているよ」と言ったところで子供達は敏感に大人の「嘘」や「打算」を察知する。

•尊敬の具体的な第一歩は「相手の関心事に関心を寄せる」こと。

 


☆自分の言動、そして他者の言動を見定めるときには、そこに隠された「目的」を考える。

    例えば、「家庭環境が悪かったせいで暗い性格になった」のではなく「他者と関わる事で傷つきたくない」という「目的」が先にあり、「暗い性格」を装い、それを「過去の家庭環境」のせいにしている。とか。

 


•自分を変えるとは、「それまでの自分」に見切りをつけ、「それまでの自分」を否定し、「それまでの自分」が二度と顔を出さないよう、いわば墓石の下に葬り去る事を意味します。

だから人は変わろうとしないし、どんなに苦しくても「このままでいいんだ」と思いたい。

そして現状を肯定するための、「このままでいい」材料を探しながら生きる事になる。

•「今」を肯定するために、不幸だった過去をも肯定する。例えば強権的な育児や指導。

→「あの時きびしく指導してくださりありがとうございました」

 


•現状が上手くいってない時は、理想には程遠い「いまの自分」を正当化するため、過去を灰色に塗り潰してしまう。

•「悪いあの人」「可哀想な私」「これからどうするか」の三角柱。カウンセリングに来た人は、「悪いあの人」や「可哀想な私」の話に終始する。でも大切なのは「これからどうするか」

 


子供の問題行動

第一段階『称賛の要求』

•褒めてもらう事を目的とし、良い事をする。(もし、褒めてもらえなかったら不満を抱き憤慨してしまう)

真の目的→共同体の中で特権的な地位を得る事。

対策→良い事をした時に注目するのではなく、日頃の些細な言動に目を向ける。その人の関心ごとに注目し、共感を寄せていく。

 


第二段階『注目喚起』

•ほめられることができない時、それでも集団の中で特別な地位にいたいので、目立とうとする。イタズラをする事もあるが、道化として好かれる場合もある。

•存在を無視されるくらいなら、叱られる方がずっといい。

 


第三段階『権力争い』

•いわゆる反抗。強く出られない子は不従順。

•自らの力を証明したい。

↓対策

相手のコートから降りる。腹立たし表情を浮かべるだけでも相手のコートに立ってしまうので注意。

 


第四段階『復讐』

•ひたすら「相手が嫌がる事」をやる。ストーカーなど。

自傷行為や引きこもり→「こうなったのはお前のせいだ!」

 


第五段階『無能の証明』

•「これ以上わたしに期待しないでくれ」

•「構わないでくれ」「見捨ててくれ」

 


もしも「叱る」という手段が教育上有効であるなら、せいぜいはじめの何回か叱っておけば問題行動は無くなるはずです。

それがどうしていつも「叱る」事になってしまうのか。

「叱る」と言う手段が教育上なんら有効でないことの証

 


子供たちと言葉でコミュニケーションすることを煩わしく感じ、手っ取り早く屈服させようとして、叱っている。

 


叱責を含む「暴力」は、人間としての未熟さを露呈するコミュニケーションである。それは子供たちも十分に理解していて、「この人間は未熟なのだ」という洞察が、無意識のうちに働く。

 


周囲の大人たちは子供に自立されるのが怖い。自分の支配下に置いておきたい。対等な立場になってしまったら、「縦の関係」が崩れてしまう。

→多くの親が潜在的に抱える恐怖

 


「先生のおかげで〜できました」

と言わせてしまった教育者は、本当の意味での教育には失敗してます。子供たちには自らの力で成し遂げたと感じてもらわなければなりません。

 


例えば子どもから「友達のところに遊びに行ってもいい?」と聞かれる。この時「もちろんいいよ」と許可を与えたり、禁止したり「宿題やってからね」と条件をつける親がいます。これはいずれも、子どもを「依存」と「無責任」の地位に置く行為です。

「それは自分で決めていいんだよ」

と教えること。自分の人生は、日々の行いは、全て自分で決定するものなのだと教えること。

そしてその決定に必要な知識や経験があれば提供する。それが自立に導くこと。

 

 

 

集団の中で「褒める」のは良くない。

競争や嫉妬が生まれてしまう。他者が「敵」になってしまう。共同体感覚が、わからなくなってしまう。

 


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子供のうちは生きるために「愛されたい」と思う。それは命を守る生存戦略で、どこまでも自己中心的だが、しようがないよね。

 


他者を愛する事によって大人になる。主語を「私」から「私たち」に変える。「みんなの幸せ」を目指す。

他者を愛する事によって幸せになることができる。

 


「楽をしたい」「楽になりたい」では幸せになれない。愛とは献身的なもの。

 


(自分達にはこれ以上の子供を育てる余裕がないと考え、1人っ子のまま子供を作らない夫婦。彼らの多くは悲観的で臆病。家庭の雰囲気も不安に満ちており、たった1人の子供に過大な重圧をかけ、苦しめる事になる。)

 


(出会いがないから結婚できない→可能性の中に生きている)